対 談
仏教の聖地にて学ぶこと Vol.1
親鸞聖人25代目
本願寺法主 大谷 暢順 様
1929年生まれ。
東京大学文学部及び同大学院を卒業後、パリ大学にてフランス文学を学ぶ。
フランス文学者。
本願寺法主。親鸞聖人25代目。一般財団法人本願寺文化興隆財団理事長。
明仁上皇(平成天皇陛下)の従兄弟。
東
この度はお忙しいところ、お時間を頂戴しまして誠に有り難うございます。
大谷様のお言葉を対談というかたちで、一人でも多くの人に伝えさせて頂けることを、とても光栄に思っております。
この対談では、社会貢献活動についてお話をお伺いする機会なのですが、大谷様は物心ついてから現在まで人々の幸せや社会の平穏を願ってこられました。大谷様のご存在自体が社会のために在ります。ついては社会貢献という観点からではなく、厚かましながら、私が関心を持っている事を伺わせていただければ幸いです。
大谷様に初めてお会いしてから10年近く経ちます。いまでも仏法の知識に疎い私に対して、大谷様はとても親切に教えてくださいます。いつも優しいお言葉をかけてくださいます。
大谷様と一緒にお食事しながらお話を伺う時間はとても楽しいです。そして93歳となられた今も精力的に布教活動をされながら、常に謙虚で物腰が柔らかいです。お会いするたびに敬服するばかりです。
大谷様
いえいえ、こちらこそいつも東さんと楽しくお話しております。
東さんと話をしていて、多く学ぶところがあります。
東
有り難うございます。お恥ずかしい限りです。
大谷様からは、これから生きていくにあたり大切にすべきことを沢山教えていただきました。大谷様の人生を語っていただくとなると、10冊の書籍では収まらないことは承知しております。また大谷様のご存在自体が社会のためになっていることも多くの人が認めるところです。その功績として多くの賞を受賞されました。
つい先日もフランス政府よりレジオソドヌール・オフォシエ勲章の受賞祝賀会がございました。こちらの賞について教えていただけますでしょうか。
大谷様
東京大学大学院を卒業してから、パリ大学文学部で学びました。フランスに長く滞在し、フランスの文学を日本に紹介してきました。同時に日本の文学をフランス語に訳してフランスに紹介してきました。
例えば、私の祖先である蓮如上人の「御文」をフランス語に訳すと共に、彼が大いに布教成果をあげた浄土真宗の教義を解説した博士論文をパリ―㐧七大学に提出しましたが、この論文は現地フランスで単行本として出版されました。また聖ジャンヌ・ダルクの救国の生涯を日本で3冊出版しました。日本ではいくつかの大学で長年フランス文学のゼミナールを担当していました。
長く両国の文化の懸け橋として尽力してきたことより、今回のこの叙勲に与ったのかと思います。
東
素晴らしいです。そのような経緯があるのですね。
長年に渡る日本とフランス両国に対する貢献が認められたわけですね。大谷様は日本で仏教だけを勉強されたのではなく、フランスにおいて西欧の歴史観や文化を学ぶことで、仏教に関してより深い思想を構築されておられます。
その他にも沢山の素晴らしい勲章を受章されています。
2020年にはスリランカ政府より外国人に与えられる最高位勲章を世界で初めて受賞されました。他に興味深い行事としては、 2016年にダライ・ラマ14世法王が京都の寺社で初となる公式参詣として東山浄苑東本願寺を訪れて、大谷様と公式対談をされました。
私は大谷様から仏教のお話をよく伺います。大谷様は親鸞聖人の25代目として、浄士真宗の普及を第一に考えておられるかと思いますが、いつも宗派を超えた見地から、仏教界全体の役割を考え、人々の幸せを願っておられます。この宗派を超えた俯瞰した見方の根底にはどのようなものがあるのでしょうか?
大谷様
仏教には多くの宗派があり、それぞれ特色があります。その宗派を超えて、仏教は日本人の精神の基盤を作ってきました。西暦 6 世紀に仏教が日本に渡来して以来、我が国は仏教国となりました。
しかし、それよりも古く 2000年以上の昔から、独自の文化が開けていて八百万の神々を敬う、今日神道と呼ばれる教えを信奉していました。仏教伝来後も、この教えは揺らぐことなく、やがて仏教と融合して、今日まで日本人の魂の拠り所となってきました。
これを「神仏習合」と言います。神道と仏教は一体不可分の教法です。神道は外来の仏教を知る事によってその教えが高められ、仏教も神道と融合して、より深い境地に達しました。私自身は仏教界全体が、日本人の共通する精神の源流を見つめてほしいと思っております。
東
私は仏教と神道は別々のものだと思っておりましたが、お話を伺って、仏教は神道から、神道は仏教から影響を受けて、お互いを高め合いながら、日本人の精神的土壌を作ってきたことを理解しました。
仏教に柔軟性があったゆえに、日本人が大切にしてきた土着の神道に仏教が溶け込めたのかと思います。以前に神社である日光東照宮の中に仏教のお寺があるのを聞いたときはとても興味深く感じました。
「三方よし」
東
私は少しでも社会問題を解決したいという想いでクレディ・スイスを辞めて新しい取り組みを始めました。
世界中には生まれた地域や環境によって困難を抱える子どもたちが沢山います。地球の環境破壊も深刻です。
本来、自治体が対応すべき社会問題を、多くのNPOは自分事として真摯に課題解決に取り組んでいます。私はこのような団体を支援していきたいと思っております。また学生に対しては、社会問題を解決するための企業活動について教えていきたいと考えています。
彼らを支援するためには、私は自ら仕事をして資金を生み出す必要があります。その中で最も大切にしている言葉が、近江商人の格言である「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)です。
大谷様のお言葉によると、この「三方よし」という言葉は、大谷様の祖先でもあり浄士真宗の中興の祖といわれる蓮如上人にその起源があると伺いました。個人的に興味がございますので、是非伺わせてください。
大谷様
蓮如上人が生きた時代は、室町から戦国に至る歴史の過渡期でした。荘園制度から、郷、惣村と呼ばれる農民の自治組織が誕生する時代です。自治組織には、農民以外にも多くの職業を持つ者が住むようになり、いわば町が出来上がりました。
話が長くなるので、短く解説しますと、町に住む人々が町を自衛するために周囲に堀や塀を築くことを、蓮如上人は奨励しました。結果として、多くの人々は我も我もと安全な自治体の中に住居を求めるようになりました。合わせて蓮如上人は、信心を第一に説きながら、自身の仕事に時として罪悪感を抱きかねない商工業者や運送業者等の精神を解放していきました。
かつては荘園領主や守護地頭に搾取されていた彼らに、蓮如上人は仏法の自利利他、慈悲の教えを説くことで、自利=「売り手よし」、利他=「買い手よし」、慈悲=「世間よし」といった思想の原形を伝えることになります。この思想は近江を中心に広がり、近江商人の格言である「三方よし」として受け継がれることになりました。
東
「三方よし」という格言は、仏法の自利利他や慈悲の教えから来ているのですね。当時、身分が低いと言われていた商人にとって、蓮如上人の言葉で救われた人が沢山いることが容易に想像できます。まさに商人にとっての頼るべき精神的支柱になります。
近江商人を源流とする日本の大企業は多いです。例えば、トヨタ自動車、三井財閥、住友財閥、伊藤忠商事を含めた多数の日本を代表する企業があります。
私たちの身近な生活や商習慣に仏教が深く入り込んでいることがよく分かります。
大谷様
東さんがこの「三方よし」の精神で新しい取り組みをスタートすると伺い、とても感心しました。自分の利益よりも、社会に還元することを優先する姿勢はなかなか出来ることではございません。
東
有り難うございます。
これは私ができる小さな取り組みです。時間をかけて、私の取り組みをご理解いただける人や企業と一緒に歩んでいければ良いかと思っております。
「東山浄苑東本願寺について」
東
大谷様は本願寺法主であり、また一般財団法人本願寺文化興隆財団の理事長として東山浄苑にて納骨堂を50年間運営してこられました。
3万坪の敷地に世界最大の納骨堂を運営することは大変だと思います。個人的な興味で恐縮ですが、これはどのような想いから始められたのでしょうか?
大谷様
この納骨堂は約50年前に計画が一旦頓挫してしまったものを、大谷派及び本願寺から依頼を受けて私が引き継ぎました。とても難儀しましたが、粉骨砕身、世界最大の納骨堂を運営するに至りました。ここで苦労したお話をすると、それこそ10冊の本が書けるかもしれません。
私どもにはお墓を未来永劫守り続けるという社会的使命がございます。浄土真宗の宗派の人はもちろんのこと、他の宗派の方であっても、東本願寺がお墓の管理をしてくれることに安心感を持たれる人は沢山おられます。
東
たしかに東本願寺様がお墓を管理してくれるというのは、お金に代えがたい安心感がございます。
大谷様
ここに来てもらい、親子、孫、家族全員が仏様に手をあわすことで、日本人の伝統的精神や豊かで温和な心を再生してもらいたいと願っております。
仏様とご先祖様への感謝によって各家庭が未来永劫にわたる心の安らぎを得られる聖地として東山浄苑東本願寺があります。ここへ来られたときだけでなく、家に帰ってからも仏様や祖先を想う気持ちを持ち続けてもらいたいと願っております。
東
おっしゃる通りです。ここに来るといつも心が洗われます。京都の市街地から近いにもかかわらず、鳥の声しか聞こえない緑に囲まれた環境はとても貴重です。
私自身は日常生活に追われて、ご先祖様の事を忘れがちですが、ここの本堂で手を合わせると、今ある自分がご先祖様のお陰であることを改めて実感します。
多くの人から「納骨をするなら自然豊かな東山浄苑さんにお願いしたい」との声に応えて、新しい納骨壇を増設すると伺っております。多くの人に安らぎを届けていただけることを心より願っております。
「これからの日本人に必要なこと」
東
もっとお話を伺いたいのですが、第1回目の対談の最後は、大谷様からこれからの日本を担う若者に対してのメッセージを頂ければ幸いです。
大谷様は第二次世界大戦、戦後の高度経済成長、失われた30年と激動の日本を経験してこられました。私は高度成長の時代を知らず、元気がなくなった今の日本しか知りません。
日本のみならず、世界を見てきた大谷様がこれからの若者世代に伝えていきたい想いとは、どのようなものでしょうか?
大谷様
私はフランスに長く滞在しました。ひとつヨーロッパとの比較をしてみましょう。
西ヨーロッパは1300年以降、あらゆる分野で固定化された中世社会から、人間を物理的・精神的に解き放って、人間の能力を自由に発揮させようという運動が沸き起こりました。16世紀以降、西欧文明が世界を制覇することになりましたが、政治、経済、司法、教育制度等が近代化の名の下に整備されました。皮肉なことに、個人の理性を発展させることが、普遍妥当性や客観性を追求することとなり、個人の個性を奪ってしまいました。
東
理性的な人間を目指すことが、自らを普遍性や客観性といった枠の中にはめ込んでしまい、結果として個人の個性が無くなっていく。私には考えもしなかったご見解です。
大谷様
西洋人の理性的な側面に対して、日本人は感情的・感性的です。
自然を征服すべき存在と考える西欧人と異なり、日本人は、自然は人に恵みをもたらす一方、津波や台風・地震等の脅威をもたらす存在だと認めながらも「自分自身も自然のひとつ」と自己をその中に合一化させる思想を育んできました。
東
私自身、自然と対峙しようという発想がなく、自然と共生していくことが当たり前だと思っています。元来、自然との共生という概念は西欧人よりも日本人の方が大切にしていた感性なのですね。
大谷様
明治維新により、急速かつ極端な欧化策により、「和魂洋才」となったために、日本人は自らの日本の伝統文化を低く位置付けてしまいました。とても残念なことです。
これからはグローバルな視点をもちながらも、仏教を基本とする精神・文化を復興させ、新たな時代に向けて「和魂和才」の精神・文化を創造し世界に伝えていくことが必要です。若い人には世界の動きの中で日本を捉えてほしいです。日本人がDNAとして持っている精神的支柱や価値観を自覚しながら、新しい学びを続けることで世界に伍していける日本人になってほしいと願っております。
東
日本人としてのアイデンティティを見直さないといけない、ということですね。
歴史から良い点、悪い点を学び、次につなげる創造力が求められます。
個人の人生設計、企業経営、国家の運営については創造力と実行力が求められます。
残念ながら世界はますます分裂化が進んでいます。国家間のみならず、民主主義の国内にお
いても、自分だけ良ければ良いという風潮が蔓延し、他人を思いやる気持ちがなくなっています。現在のロシアとウクライナの戦争については、心苦しい限りです。
世界情勢が大きく動いている中で、私たちは過去の踏襲ばかりするのではなく、未来のあるべき姿を大胆に描きながら、実現に向けて実行していく力が必要です。目先の個人的な利益に目を奪われて、あるべき姿を見失ってはいけないです。
その為にも、私たち一人一人が感受性を豊かにするとともに、日々の勉強が必要になります。
私も大谷様を見習って、自分を律しながらも自身の経験や社会への“想い”を若い人たちに伝えていきたいと思っております。
大谷様
東さんはご自身の価値観を持っておられます。
東さんの仕事を通して社会貢献を行いたいという発想や若者を育成したいという想いを大切に持ち続けてください。東さんの活動は、我々の仏法を普及する活動とは異なりますが、これからの若者や日本の将来を想う気持ちは、私たちとも通ずるところがございます。引き続き精進してください。
東
大谷様から有り難いお言葉をいただき光栄です。
大谷様には、これからもご健勝にお過ごしいただき、日本人の心の教育と日本文化の普及を引き続き宜しくお願い申し上げます。
本日も沢山のことを教えて頂きました。
一人でも多くの人に大谷様のお考えを共有することができれば幸いです。
本日はお時間いただき、誠に有り難うございました。
以上
2022年5月 京都にて