タイのメーソート(Mae Sot)にて Vol.2
2025年11月

タイのメーソートは、ミャンマーとの国境付近に位置し、ミャンマーから逃げてきた多くの難民が暮らす街である。毎年、私はこの街を訪問している。
特に今年は、この地名が国際的な特殊詐欺の拠点として有名になってしまった。
メーソート市内から5キロほどでミャンマーの国境を越える。ミャンマー側にあるミャワディという街に詐欺組織の拠点が沢山ある。ここで日本人の16歳の少年が保護されたニュースは日本でも大きく取り上げられた。高額バイトの名目で誘われてやってきた多くの日本人が、拘束されながら働かされているという。
バンコクからメーソート空港に降り立つと、いつもと様子が違う。
ターンテーブルからスーツケースを取り出して、出口に向かうと、簡易テーブルが並んでいる。多くの警官が椅子に座って我々を持っている。パスポートを取り上げられ、「タイ市民が迎えに来ないと外には出せない」という。迎えに来てくれたドライバーに対応してもらったが、職務質問に40分ぐらい時間を要した。最後はパスポートの写真のページを開いて、警官と並んで一緒に写真撮影。タイ警官にとって、私たちは「誘拐されたときのために保護すべき対象」と見なされたのか、誰かを誘拐する役割を担う「犯罪予備軍」と見なされたのか、それは分からない。

LCCのNOK AIR。外見は可愛い。
NOKとはタイ語で鳥という意味
メーソートには2008年から訪問している。当時の軍事政権は、一時的に民主化されたものの、2021年のクーデターで再び軍事政権に戻った。軍事政権下では少数民族が虐げられ、多くのミャンマー人が命からがらタイ側に逃げてくる。
そんな中、トランプ政権は、世界60か国以上で人道支援、医療衛生、教育支援などを行ってきたアメリカの米国際開発局(USAID)の支援を止めてしまった。ミャンマー軍の攻撃から逃げてきた難民の医療や教育支援なども停止した。USAIDから奨学金を得ていた大学生も次の学年に進めなくなってしまった。
私の所属するNPOは、以前と変わらず地元の支援活動を続けている。
現地で1,100人が通う最大の難民学校を2010年に建設し、随時必要となる修繕保守、改築費用を拠出しながら、学生や先生たちの教育環境の整備に注力している。

授業が終わり、岐路につく子どもたち。
みんな手を合わせて挨拶をする
優秀なミャンマーの学生たちに、タイの大学を受験するための予備校も運営しており、一部の学生に大学で勉強するための奨学金を出している。来年度の奨学金は10名まで拡大する。授業料や生活費を含めると一人あたり年間8,000ドルかかり、4年間をコミットするとなると、トータル金額は大きい。
多くの若者たちの夢をかなえるための奨学金のニーズは増えているが、国際的な支援は減っている。
毎回、バンコク、メーソート、チェンマイで、私たちがサポートしている奨学生や大学の卒業生と食事会を開催し、彼らの現況を聞いている。卒業生の中には、予備校を支援し始めた年度(1期生)の学生もいる。その学生は現在40歳である。「そんなに時間が経ったのか」としみじみする。そういえば、2011年に発生したタイでの大洪水の際に、バンコクの大学から出ることができないこの学生に、ポケットマネーを25,000円ほど送った記憶が昨日の事のように思い出される。
今回、この予備校を訪問し、学生たちの将来の夢を聞いていると、彼らの意思の強さや地元コミュニティを想う気持ちの熱さに圧倒される。自分の20歳頃と比べると、自分の未熟さが恥ずかしくなる。学生たちは先が見えない困難な状況を抱えながらも、普段は元気で明るい若者である。その様子を見ると心が救われる。

予備校でのランチ後に学生たちと撮影
毎年のようにメタオクリニックのMs.ドクターシンシアと会い、ミャンマー人の医療支援の状況を教えてもらう。
メタオクリニックは、お金が払えないミャンマー人には無償で医療を提供しており、年間12万人の外来患者と年間8万人の入院患者を受け入れる。以前は日本人の看護師が働いていた。ドクターシンシアはノーベル平和賞候補にもノミネートされている。いつも落ち着いており、包容力がある。

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メタオクリニックを訪問

夕食はシンシアさんと一緒に
現地を訪問することで、今回も多くのことを学ばせてもらった。
これからも彼らに支援を届けていきたい。私も資金集めに頑張ろう。
後ろ髪が引かれる思いで、メーソートを後にする。また来年、みんなと会うことを楽しみにしている。
【関連ブログ】
2023年7月 タイのメーソート(Mae Sot)にて
https://sbb.or.jp/mae-sot/

