距離感の大切さ
2025年9月
人生の先輩は、見た目が凛々しく、人を寄せつけない雰囲気を持っている。一方、内面は心がとても優しい。私は人生の先輩と1年に1回のペースで会っている。
人生の先輩は、「このぐらいのペースが心地よい」という。私が訪問すると毎回、地元の美味しい魚料理をご馳走してくれる。人生の先輩は、ビジネスの世界で苦労し、今や地元の名士となっているが、自ら進んで外部の人との交流を広げようとしない。知り合いが増えると、面倒なことが多いという。
10年ぐらい前だろうか、私が金融機関で働いているときに、営業活動として人生の先輩を訪問した。人生の先輩の不思議な魅力に惹かれ、2度目以降の訪問は、営業活動が目的ではなく、ただ会って話をすることが目的になっていた。
人生の先輩は、私が金融機関を引退し、新たに始めた社会活動にも参加してくれた。先日、先輩から言われた言葉が印象的である。「東さんと気楽に活動ができるのは、一時的な声かけだと分かっているからです」と。
最初、意味が分からなかった。話しているうちに、意味が分かってきた。人生の先輩は誰もが認めるお金持ちであるが故に、先輩を目当てに社会活動への寄付やビジネスへの出資をお願いにくる人がたくさんいる。人生の先輩が、一度でも「人助け」として寄付金や出資金を出すと、受け取った人がその後に何度もお願いにきたり、先輩の人脈をあてにしたり、自分の都合の良い方向に話を持ち込もうとしたりして、結果として面倒な付き合いになることが多いのだという。だから、私のように「一時的」な関わり方は気楽だという。
なるほど、そうかもしれない。私の周りでも、出資金や寄付金を出してくれた人に対して、急に距離感をつめることで、疎ましく思われるケースを見てきた。特にNPOなど恒常的に寄付金を集めている人は、社会を良くするためにもっと寄付金を出してほしい、というプレッシャーを相手に与えてしまいがちである。
寄付者は、最初は気持ちよく寄付をしていたが、何度かお願いされるうちに「もう勘弁してほしい」という気持ちになる。優しい人ほど断る労力がストレスになる。優しい自分でいたいのに、そうさせてもらえない。
人生の先輩がいう「一時的」という意味は、一度という回数を意味するのではなく、気持ち的なプレッシャーが一時点で割り切れることだと理解している。これを教訓とすると、NPOは寄付者に対する報告活動や寄付者の心の充足感、に焦点をあてる以外に、寄付者との距離感を大切にしないといけない。離れすぎてもいけないし、近づき過ぎてもいけない。
次に人生の先輩と会うのは、来年の春である。海辺の景色の良い場所にできる宿泊施設のオープニングセレモニーがあるという。来年はこの施設に貸し切りバスを出して、体験機会の少ないひとり親家庭の子どもたちと一緒にBBQを楽しむイベントを、先輩に提案してみよう。