ラオス人の大学生がくれたもの
2024年4月
ここはメコン川沿いのレストラン。夕暮れどきの風景は特に美しい。
このレストランでひときわ大きなテーブルで食事をする団体がいる。ラオス人の大学生、現地のNPOスタッフ、日本人の支援者(人生の先輩)と私である。人生の先輩はラオス人が現地の大学に行くための奨学金を毎年新たに5人支給している。大学1年生から卒業までの4年間を支援しているので、合計20人の学費を毎年支援していることになる。
ラオス人の学生たちは「いま法律を勉強している。将来は大使館で働きたい。」「エンジニアの勉強をしており、将来発電所で働きたい。」「英語の先生になって、地元の村で子どもたちに教えたい。」「大学院にいけるなら、日本で勉強したい。」などの夢を語っている。
人生の先輩は日本からのお土産を彼らにプレゼントした。すると今度は学生たちが私たちにプレゼントをくれた。ある女子学生はプレゼントを人生の先輩に渡すときに「奨学金をサポートしてくれた〇〇さん(人生の先輩)がいなければ、私は大学に行けませんでした。」と涙ながらに話していた。私もその言葉を聞いて、胸が熱くなり目頭に涙があふれた。レストランの帰り道、人生の先輩は夜道を歩きながら「こんな気持ちにさせてもらえたことに感謝している」と興奮していた。
世界には教育機会に恵まれない子供たちはたくさんいる。たまに「日本人なら日本の子どもたちを先ず支援すべきだ」という言葉を聞くが、それは支援者が決めることである。日本や海外の子どもたちの未来を応援することは大切であるが、実は私が大事にしているのは支援者の心(満足感)である。これは数字では計れない。
私がスイスの金融機関でプライベートバンカーとして働いていたとき、「金融業のサポートは私でなくても提供できる。金融以外のお客様が抱えるニーズに対して私が提供できる価値は何であろうか?お客様の人生をより豊かなものにするためには何ができるだろうか?」といつも考えていた。人生をより豊かに過ごしてもらうために、私は社会貢献活動を推奨している。
社会貢献活動と一口に言っても、寄付をするだけでは満足できない。寄付をした結果として、自分がどのように役に立っているかを実感することが大切である。人は自分自身が社会の役に立っていることを実感できれば、幸福度が増す。その仮説のもと、私は社会活動家として富裕層や企業経営者とNPOをつないでいる。そして富裕層や企業経営者が楽しく社会貢献活動に取り組めてこそ、社会に「温かいお金」と「想い」が循環する。私はその循環を止めないように支援者の心の動きをいつも見守っている。